2000/08/10 ゴビの情報とモンゴルの医療事情1 |
 |
 |
|
ウランバートルは毎日の気温が20度前後で、朝方は5度近くまで冷え込む日もあり、すっかり秋模様です。大使館員も風邪をひく人が増えています。7月下旬から雨が多くなり、今度は牧草の根腐りが心配です。今年も牧草の生育は芳しくなく、備蓄も出来ていない(背の高い草が生えず、刈り取れない)ようですので冬のゾド(雪・寒害による家畜被害)再来は必至と思われます。その割に街を行き交う人々の表情は明るく、牧民らの生活との大きなズレが感じられます。7月2日人民革命党が圧勝し政権が交代してから1ヶ月以上経過した8月9日、ようやく閣僚名簿が発表されました(この1ヶ月、落選し議席を失った前閣僚が執務していたのです)が、おそらく何も変わらず、変えられず、ゾドを迎えることになるのでしょう。悲しい現実です。さて、本文。
8月1~3日とたった3日間の夏休みをいただき、南のゴビ地方に行って来ました。ゴビ砂漠といえば、世界の3大砂漠の一つにて大変有名ですが、我々が頭に描く砂漠とは違い、一面に草が生えており、バッタが飛び交っています。といってもまばらで、硬く背の低い草で、荒れ野原といった風情です。冬間近の習志野カントリー空港コースといった感じですが、わからないでしょうな。ただ、その荒野が延々と続き、隣のゲルまで100km近くかかることもあり、実に何もない広大ではあるがいわゆる一つの殺風景な所でした。でも、所々にフタコブラクダの群やゼールという鹿の仲間を見たり、ネズミやマーモットもたくさんいて、ちょっとしたサファリ気分も味わえます。ツーリストキャンプのゲルに宿泊しましたが、懐中電灯の携帯を忘れ大変でした。というのも、夜の12時を過ぎると通電がストップし、漆黒の闇に包まれるのです。たまたま月のない曇りの日で、真夜中に目が覚めると真っ暗です。時間が経過し、瞳孔が全開しても見えません。目を開けてもつぶっても同じどころか、開けている方が暗く感じ、視力喪失時の恐怖感とはこのようなものだろうかと少し判った気がしました。この闇の中で娘のオムツ騒ぎになって超パニック!慌てて翌日ライターを購入し闇に備えたところ、翌夜は晴れの新月で星が出ていました。星明かりだけではさすがに暗いのですが、素晴らしい星空でした。周りに明かりが全く無い澄んだ空に星の瞬き。文字通り、降るような星空で、ミルキーウェイを初めて肉眼で確認した次第です。(カシオペア座は天の川の中にあるのですね)流星もたくさん見えましたので、世界の平和をお願いしておきました (なんちゃって) 。
さて、先生ではなく医務官と呼ばれ、白衣ではなくダークスーツとネクタイにも慣れてきた昨今、当地の医療事情について書かねばなりませんが、なかなかペンが進みません。どの病院を視察しても、日本大使館というと満面の笑みで迎えてくれます。でもそれは援助の期待がこもった打算的な笑顔に見えます。ほとんどのモンゴル人は我々日本人に対して大変友好的です。でも、南アフリカにおける名誉白人みたいな扱いといいましょうか、日本は大国でお金持ちなので、仲良くしていた方が得であるといった印象を受けます。ちょっと私がひねた見方をしているのかもしれませんが。視察していても、この機械が壊れて困っているとか、ここを直したいが予算がないとかの話は聞けても、具体的にどのような医療を行っているかは把握しづらい事が多いです。注射器はディスポを使っていると言いながら、尿道バルーンは再生していたりします。病院の恥部はやはり隠したがる様です。700床以上ある大学病院も、設備的には日本の100床規模の国保病院以下です。ODAで寄贈された機器も、電圧が合わなかったり、使い方がわからないのかほこりを被っていたりします。レスピレーターが無くて困っていると言いながら、サーボ900Cが2台も使わずに置いてあったりします。コンプレッサーが無いので使えないらしいです。何かを指導したり、技術を提供したりしなければならないと焦燥りますが、私に出来ることなどほとんどありません。取りあえず、気は進みませんが、援助を期待する笑顔を見に各病院をぼちぼちと視察しています。モンゴル語がわからないので、大使館の通訳と一緒に行きますが通訳も医療用語がわからず難渋します。大使館も忙しいので通訳を貸して貰えず、私の視察は通訳のスケジュール次第です。モンゴル語・英語の通訳や、英語を話す病院長から直接説明を聞くこともありますが、英語があまり得意でないので難渋します。実際視察は大変気が重い仕事で、病院長の期待を込めた熱い視線が刺さります。甘い言葉も厳しい言葉もタブーと思い、いつも「日本は出来るだけの援助を行う用意があるが、効率の良い援助方法を検討しているところだ」とお茶を濁して帰ってきます。どの病院も間違いなく援助が必要ですが、モンゴル政府の無策ぶりに腹が立ち、脱力感を憶えます。日本の中古機器でも送って貰えればと考えますが、輸送費と保証等を考えるとあまり軽率には動けません。とにかく現状を把握することでしょうね。将来的には、自治医大とモンゴル国立医科大学との人事交流や中古機器の輸送体制などを確立できると良いなぁと、ぼんやり考えています。ただし、他の医務官配置国では当国よりも悲惨な国もあるため、大変デリケートな問題です。外務省医務官としての行動には制約が多いように思います。民間レベルの便宜供与しかないのかなとも思います。詳しい医療事情は別の機会に。
日本は暑いそうですね。伊豆諸島の地震も心配です。台風被害も心配です。モンゴルには地震も台風もありません。でも、骨髄移植も心カテも出来ませんし、外国に紹介することなど費用的に不可能です。平均寿命は65歳だそうです。どうしても我が日本と比較してしまいますね。TPAもカウンターショックもない所で、心筋梗塞をどうしましょうか?郷に入っては郷に従いますか?日本に送るしか能がない日本人村の診療所長に過ぎないのです。いろいろ考えると、悩むこと多しです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|